名前:ともすけ
趣味・特技:プログラミング、筋トレ、サイト更新
仕事:プログラマ、Web制作、セキュリティ、デザインなどITに関する分野を個人で行っております。
年齢:30代
住所:香川県丸亀市・・・と、兵庫県を行ったり来たりです。
Twitterなどのアカウント:現状は持っておりません。

 

■紹介
日ごろは、「AB型本人が性格や特徴、あるあるを語る」をご利用いただき、誠にありがとうございます。おかげさまでアクセスもそこそこ集まってきており、相談者も増えたり共感の意見、むしろこれは違うというようなAB型ご本人からの意見などを頂き、サイトを現在少しずつ改善しております。

 

堅苦しいお話はここまでにしておき、ちょっとした個人的な人生をここに書いておきたいと思います。生まれた頃から、実は変わり者だと言われております。そういうのも、昔の子供達というと仮面ライダーやガンダムなどなどヒーローものを見たり、そういったもので遊んでいたと思います。それで、AB型の管理人は何をしていたのかというと、一切それらのものには興味がありませんでした。子供ながらに「結局これって、勝つんだよな」という冷めた感じで見ていました。そして、興味を持ったのは、マジックや化学に関係するものです。子供なので、大したことはしておりません。なんとなく自分の常識では解明できないものが大好きでした。マジックショーなど、これはどうなったらどうなるんだというような、不思議さやワクワクがありました。そして、父親も同じく化学関連のお仕事をしていました。たまたまもらったリトマス紙で遊んだりするのが楽しかったです。これが、大体は小学生あたりまでの話です。そして、友人関係はというと、そこまで悪くはなかったです。意外かも知れませんが、O型の大親友が居ました。

 

ここからは中学生時代の話です。実は、先ほどインテリなことを書いておりましたが、小学生で5教科などには興味はなく、勉強をしてこなかったのです。理化のテストは、それなりの順位は取れているものの、他の教科は壊滅的でした。将来の自分もまだまだ決まっておりません。また、その当時に教員や親から将来は楽に過ごしたいのであれば、テストなどで良い点数を取ることが必須だと言われていた時代です。それでも、管理人は勉強に興味がなかったです。そして、親にしばかれながらも、無理矢理勉強をし始めました。今思うとやっておいて良かったと思えますが、中学生の自分には実感がわきませんでした。中学1年生は5教科合計点数120点という壊滅的な状況でしたが、卒業までには合計400点以上に伸ばすことに成功しました。そして、インターネットにはチャットというものが普及し始めてきます。その世界にかなりの魅力を持ち、親にパソコンを買うことをねだっていました。

 

そして、高校です。商業系に入学しました。そもそも勉強など好きではなかった管理人には、かなりのストレスが溜まっていた状況でした。そんな苦労を見てか、親はやっと管理人にパソコンを買い与えてくれました。管理人の生活にひとつ楽しいことができました。途中、オンラインゲームに高校の友人に誘われることになります。これが筆者の高校生活を荒らすものでした。友人はこれを書いている今も関わっている良い人間です。オンラインゲームというのは、かなり楽しいようにできており、仲間とレベルアップをさせたり、実際にギルドを運営して楽しんでいたりしました。当時のブログは現在も持っていたりします。商業系に入った理由を書いていませんでしたが、ここでは中学生時代に考えた、プログラマになれるスキルを少しでも身につけるためです。しかしながら、入った先の高校の授業はレベルは高くはありませんでした。それまでに、趣味で本を買ってパソコンの勉強もしてましたが、授業にも余裕でついていける状況、特に勉強をしなくとも好成績は取れる状況でした。そういった現状を目の当たりにし、高校生活に意味を感じなくなりました。おまけに、体育を重視する高校でもあったので、オンラインゲーム好きになり、インドアになった管理人には、とてもつまらない世界でした。部活もラグビー部に入ってみたりするものの、個人的にまだまだパソコンの勉強をしていたので、そちらが優先できなくなるレベルで激しいスポーツだったので、すぐにやめました。まだまだ、パソコンを使っているとオタクと言われていた時代です。顧問の先生にも、部活をやめて将来どうするのかと問われ、パソコン関連で食っていくんだと答えても「そんなものでは食っていけない」と言われていた時代でした。親にも似たようなことを言われた覚えがあります。結果、今はどんな時代かは、お読みのあなたが一番知っていると思います。

 

大学は選ばずすぐに働きたかったので、専門学校で2年程度勉強することになりました。専門学校というだけあり、数年間地道に勉強したものであっても、1ヶ月ですぐに自分の知識が学校に追い抜かれました。そして、自分のパソコンの得意スキルはここで発揮されるのかというと、1年あたりはプログラミングやアルゴリズムなどのお勉強は、これまた壊滅的でした。「自分には適正がないのだろうか、別の仕事をした方がいいのだろうか」そう思いながら、1年は過ごしました。2年目でやっと、自分の才能が開花するようになり、授業もしっかりとついていけるようになりました。かなり楽しくて、寝る間も惜しんで、元々やっていたオンラインゲームもやめて、徹夜でプログラミングをしていた覚えがあります。クラス全体も仲が良く、学生生活で心の底から楽しいと思えるようなことばかりでした。

 

さて、社会人になります。AB型の管理人にも、いよいよ就職活動のシーズンがやってくるのです。しかしながら、結果はすべて芳しくない状況でした。卒業後、ニートになってしまったのです。それに、学費も自分で払わないといけないという絶望的な状況です。3ヶ月したところで、何かしら稼がないといけないと思って、野菜工場でパートとして働くことになりました。5ヶ月目くらいで惨め過ぎて涙が出てきた覚えがあります。そんな中、1つの場所がパートながらも技術者を求めているようでした。面接を受けると、即合格。知っている方は、いわゆるブラック企業などではないかと勘違いされるくらいです。1年くらいは本当に待遇が良かったです。しかしながら、パートに求めるような量ではない仕事を押し付けられるようになり、知らぬ間に心まで荒んでいきました。閉鎖に入るくらいのレベルでした。正直なところ、消えようと思って実行に移したこともあります。バカなことをやったと今は深く反省しております。

 

そんなこんなで、現在です。あれこれと就職をしようとしても、ことごとく落とされます。パートとして働いても、色々な関係でうまく勤まらない状況です。稼がなければ生きていけません。また、自分の持っている技術的なものには謎の自信がありました。それにより、フリーランスとして活動するようになりました。正直活動当初は、知識不足なこともたくさんありました。そして、現在はなんとか普通に食べていける状況です。がっぽり儲かっているわけではありませんが、苦労はそこまでしておりません。あの手この手で集客した覚えがあります。ここには書くことは難しいレベルの、真っ黒な案件から、楽しい案件まで参加しました。そして、途中で企業で常駐という名の、世間的は社員としての扱いで働いたりもあったり、色々です。そんな中で、やっと人生で初めて彼女ができたり、そこから色々人間関係を学ぶことが多かったです。

 

これが変わったAB型の管理人の人生です。省略した部分もありますが、すべて楽しいことばかりではないです。「大したことねーな」そう思われるかもしれません。書いていて、真っ先にAB型の管理人が思いました。そして、人生うまく行ったことの方が少ないです。フリーランスというと、悠々自適に見えますが、そうではないことが多いです。今も何かしらの苦労には追われています。天才と言われているAB型ですが、管理人はそこまででもありません。ただ、そんな凡人なAB型の考えでも、様々な方に共感を与えられております。ご相談をメールフォームから頂くことも多かったり、参考になったというようなメッセージも頂きます。

 

少しでも世の中の役に立っているならばうれしいと管理人は思っております。くだらない人生紹介にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。